[NAO活動日誌]
2010年元旦よりシステム変更に伴い「活動日誌」がリニューアルいたしました。
 昨年までの日誌は画面下の「過去の日誌」でリンクされております。
 全国縦断講演会2010.9.2
 午後2時〜3時45分まで、下関市の海峡メッセで櫻井よしこさんの講演会がありました。主催は、産経新聞社です。約1500人の聴衆が事前に葉書で申し込みをして集まりました。とてもいい話が聞けました。
 写真撮影が禁止されていたので、講演中は撮影ができませんでした。写真は、終わった直後です。

 明日、下関市で桜井よしこさんの講演会2010.9.1
『週刊ダイヤモンド』   2010年8月14・21日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 850

 1944年12月16日、レイテ島西方海域で河野宗爾陸軍伍長は戦死した。僧職にあった23歳のこの若者は、こんなふうに遺書を書き出している。

 「御面会も出来ず、出発すること、何だか淋しい気持ちです」
だがすぐに気を取り直して、「ニッコリ笑って戦友に見送られて行きます」と筆を継いだ。
戦地に向かう青年はさらに綴る。
 「生還を期せずして出て征くにあたり、心から今までの御高恩を謝し、母上四十年間のご苦労に何等お報ひ出来なかつた事を深くお詫び申上げます。
 今お別れするに当り唯一の頼みは、どうか長生きせられて、私の遺骨はお母さんの胸に抱かれて無言の凱旋をすることが、私の願ひであります。決して生きて還ると言ふ様なことは思つて下さいますな。それ程今の日本は急迫してゐるのです」

 海軍軍属の石田正夫氏も44年8月8日、グアム島で戦死した。37歳の氏は、わが子の夢を見て、子どもに「強く生きてほしい」と書き残した。内地の様子がわからないなかで、彼は自分の気持ちをこう書いた。

 「毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。自分達はすでに死を覚悟して来てゐる。万策つきれば、いさぎよく死なう。
 本月の○日頃が、また危険との事である。若し玉砕してその事によつて祖国の人達が少しでも生を楽しむ事が出来れば、母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。
遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ」。

 あるいは45年5月11日、南西諸島方面で戦死した特攻隊の海軍少佐、西田高光氏は「総ての人よさらば、後を頼む」と絶筆を残した。23歳の匂い立つ若き命だった。

 このようにして、幾百万の人びとが戦死した。苦しい戦いのなか、あるいは極限状況の下、彼らを支えたのは家族と祖国への哀切なる愛と責任感だった。遺骨となって母の胸に還(かえ)りたいと望みつつ、後に続く人びとに後事を託しつつ、命に代えて彼らが守ろうとしたのはまぎれもなく、祖国であり、祖国に抱かれるすべての同朋だった。

 けれど今、私たちはこうした先人の思いを受けるに足る日本人だろうか。

 河野伍長や西田少佐と同年の23歳の下村早苗容疑者は、3歳と1歳の子どもを放置して死なせた。金色の髪とパッチリした目で写真に収まる彼女は遊ぶ時間が欲しくて子どもを放置した、遊び場はホストクラブだと供述した。収入は風俗店で働いて得たそうだ。

 子どもの背中にライター用の油をかけ、火をつけて大やけどを負わせた父親、倉岡稔容疑者は、42歳で無職だった。連行される姿の、輝く金色に染めた髪とネックレスが印象に残る。

 他方、足立区では、111歳で日本一の長寿男性のはずの加藤宗現さんが約30年も前に死亡していたと判明した。しかも加藤さんの家族は白骨化したご遺体を放置し、家族が管理する通帳からは年金が引き出されていた。

 杉並区では、これまた都内最高齢の113歳のはずの古谷ふささんが、四半世紀も前から消息不明であることが判明した。80歳近い長女の下には弟妹がいる。しかし、彼らはこの四半世紀、互いに、母であるふささんについて語り合ったことはないそうだ。

 どう考えても、私たちの時代のこの日本は狂っている。戦後教育は完全に失敗し、私たちはどこかで生き方を間違えたのだ。今の日本人に必要なのは、一にも二にも、基本的な道徳倫理である。日教組や社民党に引きずられ、日本のよき伝統であった道徳や倫理を蔑ろにする教育を根本から改める必要がある。個人の権利と自由は十二分に強調されてきた。今は、家族をはじめ他者への思いを育む人間教育へと、価値観の一大転換を目指すべきだ。


 菅総理と小沢前幹事長の全面対決2010.9.1
 表題のとおりです。どっちが勝っても民主党は分裂の危機を迎えています。挙党態勢がとれるとしたら、小沢が代表になっても総理は菅のままという方法があります。しかし、組閣は党の小沢代表が全部やることになるでしょうから、菅総理は受け入れられないでしょう。そういう(小沢一郎の影響力を受ける)案を拒否したから、全面対決になったのだと思います。
 「政治と金の問題の)責任をとって(幹事長を)辞めた方は、一定期間静かにしているのは当然だ」という理屈には正義があるように思います。それが、菅を支持するグループの旗印でしょう。
 民主党の党内抗争の間に、日本経済は窮地に向っています。この国は本当に運が悪い。

 一般質問2010.8.31
 9月議会の一般質問の通告締め切りは昨日まででした。今回質問に立つ予定でしたが、追突事故の後遺症で体調が万全でないため、今回は残念ながら取り止めました。頭がまだ重いのです。ぎりぎり回復が間に合いませんでした。その分、都市建設委員会や平成22年度の決算委員会で頑張りたいと思います。
 国政に目を向けてみますと、今日菅総理は小沢一郎と会談するそうです。どうなるか関心があります。いずれにしても、民主党は国民世論とかけ離れた方向を歩んでいるようで、分裂に向うのではないかと読んでいます。党内が分裂状態になったからこそ、「挙党態勢」という言葉が何度も出てくるのではないでしょうか。

 昨日の日曜日は2010.8.30
 昨日午前8時半から、東部体育広場で市内ソフトボール大会がありました。9時過ぎに中央公園コートに移動して、9時半からの体育協会杯ソフトテニス大会開会式で挨拶したあと、10時からマンション管理組合の臨時総会に出席しました。
(写真)は、市内ソフトボール大会の開会式です。
 午後は、ホテル河長で、岡村精二県会議員の後援会幹事会でした。それが終わると、来月6日からの9月議会へ向けての勉強でした。市から平成21年度決算書の概要が送られてきました。

 2010.8.28
 午後は、骨髄バンクを支援する山口の会の会議です。11月に設立20周年記念シンポジウムをやります。夜はある自治会の会合に出ます。

 病院めぐりの一日2010.8.27
 午前11時から定期検診で宇部興産中央病院でした。その前に磯部整形外科にも行ききました。夕方は歯科。まるで病院めぐりの一日でした。
 9月議会が9月6日から始まります。昨夜、清志会の会派(杉山、河崎、猶)で話し合いました。今回は私が質問に立ちます。会派で私だけだったら質問時間は60分の予定です。
 写真は、先日の神原ナイトウォーキングですが、宇部線東新川駅で新山口行き最終電車を待っているところです。

 小沢一郎が代表選に出馬2010.8.26
 世論調査では、5人に4人が「小沢一郎は民主党代表選挙に出るべきではない」と思っているのに、民主党内ではそうではないようです。代表選挙に出るべきではないと思う理由は、「政治と金の問題で起訴される可能性があるからふさわしくない」としているもので、真っ当だと思います。
 テレビで民主党の議員の発言を聞いていると、新人議員も含めて、「誰だれがこう言っている」という発言が多く、「自分はこう思う」という意見がほとんどありません。
 ある新人議員が、菅総理からの新人議員との意見交換会に出席しなかった理由を「総理は円高対策などが早急の職務であろうから、新人議員との意見交換は意味がない。党の代表から呼ばれたのなら出たけれど、総理の立場での意見交換会ならば出るつもりはなかった」と答えたのには驚きました。民主党の新人議員だけれど、「国会議員としての仕事はできない」と言ったようなものです。たとえ新人でも、総理から意見交換を求められたら、「代表選挙の話ではなく、今は経済と円高対策を急ぐべきだ」と自分の意見を出せるチャンスではなかったでしょうか。そのチャンスを堂々否定したのに驚きました。
 何のために、国民は民主党の議員を増やしたのでしょうか。民主党のためでしょうか。国民のためというのはどこへいったのでしょうか。

 円高対策より党代表問題が優先?2010.8.25
 1ドル84円台をつけました。輸出に頼る日本経済は、円高による影響が大きく、国内の景気を一気に冷え込ませる恐れがあります。逆にアメリカはドル安容認で、ドル安による輸出景気回復を望んでいるようです。
 政府には緊急円高対策が望まれますが、今の政府は全くの無策だそうで、すでに手遅れだという指摘もあります。菅総理が記者会見を受けても、頭の中は、「小沢一郎が代表選に出るかでないか」であって、関心事は党内にあるように見えます。すでに「円高を注視する」ではなく「具体的な対策」が求められます。株式市場などは、現政権を完全に見放しているとも言われています。
 国民の為の政治と口では言いながら、これまでの政治を見た限り、党内の都合が優先しているように思えます。まるで一党独裁政治をやっている国と変わりません。小沢一郎が総理になったところで、何が変わるのでしょうか。

 写真は、先週の「神原ナイトウォーキング」で、夜9時過ぎにJR東新川駅で新山口行きの切符を買っている様子です。

 産経新聞8・22より2010.8.23
 「菅談話」によってまた、亡霊が動き出した。現在進行形だから生霊というべきか。多くの国民が知らないまま、長年、巨額の血税がつぎ込まれてきた、「サハリン残留韓国人問題」への“デタラメ人道支援”のことである。

 韓国・ソウルから南へ電車で約1時間の安山市に、サハリンから韓国への帰国者用の住居として日本が約27億円を拠出して建てたマンション群がある。2LDK、バス、トイレ付き。韓国語が読めないサハリン生まれの2世が多いから、ロシア語の掲示板は至る所にあるが、日本の支援に感謝する記念碑などは見当たらない。

 住民に話を聞いてみると、しょっちゅう里帰りする(彼らのサハリン−韓国の往復渡航費も、滞在費も日本持ちだ)ためか、家財道具がまるでなく、“別荘代わり”に使っているとしか思えない人、関係のない一族郎党を堂々と住まわせている人。驚くべきことに戦後、北朝鮮や旧ソ連からサハリンへ移ってきた人(当然、日本とは何の関係もない)まで住んでいるという。

 日本の支援はこれだけではない。療養院をはじめ、引き続きサハリン在住を希望する人たち用の文化センターの建設費。果てはヘルパー代や光熱費の支援まで。3年前には、「まだ帰国を希望する同胞が3千人以上もサハリンに残っている」とゴネられ、民間マンションの借り上げ代などとして約3億円の追加支援を余儀なくされた。

 この問題で日本政府は「法的責任はない」と言い続けてきた。ところが、戦後30年もたって大ウソのプロパガンダをわめき立てる輩(やから)が出てくる。「日本は4万3千人もの朝鮮半島出身者をサハリンへ『強制連行』し、戦後は彼らだけを『置き去り』にしたんだ」と。日本人がそう言うのだから韓国側が飛びつかないはずがない。

 まあ、日本もアジアの大国だ。一万歩譲って「人道支援」はヨシとしてもいいが、それはもう“十分すぎるほど”やった。戦後65年、本当に故郷へ帰りたかった当事は、もうほとんどいない。日本とほとんど関係のないサハリン生まれの2世、3世のために、人道支援が続けられているのだ。

 夫の朴魯学さんとともに帰還運動に取り組んだ堀江和子さん(ともに故人)が憤然として言ったことがある。「本当に帰りたかった1世のときは助けてくれなかったのに、なぜ関係のない人にお金を出すのか」と。

 手話講座2010.8.22
 午前中、宇部市総合福祉会館で「中途難聴者の手話講座」にでました。二回目です。
健康な人が手話を覚えるのも楽しいかもしれません。手話だけで会話できると暗号みたいです。手話は、ろうあ者同士の会話と限りません。健康な人が手話を理解していないと、ろうあ者の世界が広がることはありません。私はこの運命からいろんなことを学んでいます。
 写真は、昨夜の万倉ふれあいセンターで行われた盆踊り前のマジックショーです。

 神原ナイトウォーク2010.8.21
 今日は、ゴルフコンペの日でしたが、まだ首を振るかもしれない運動はできないので欠席です。
 夜6時からは、万倉の盆踊り大会に行きました。午後8時半には、神原ふれあいセンターに戻り、神原ナイトウォークの出発を見送りました。約100人の子供と大人の参加でした。10時36分東新川駅発の電車で新山口駅まで行き、そこから宇部まで徹夜で歩いて戻ります。私は歩きませんが、ただの見送りです。
 写真は、西長門リゾートを海側から見ました。
 テレビのニュースで、遊園地の「びしょぬれローラーコースターが大盛況」がありました。途中で何箇所もシャワーのように水をぶっかけるのが、意外にも好評だそうです。常盤公園でもやってみるとおもしろいかも。

 全国中学校ソフトテニス選手権大会2010.8.20
 全国中学校ソフトテニス選手権大会が、中央公園コートで24日まで行われています。
 日中、市役所やガス水道局へ行きいろいろ意見交換してきました。

 若経OB会2010.8.19
 今晩、全日空ホテルで「若き経営者の会」の現役とOBの合同例会がありましたが、行ってみるとOBだけでした。現役会員は、同じ日に例会があったそうです。

 第11回山口県市議会議員研修会2010.8.18
 山口市民会館で、山口県市議会議員研修会があります。宇部市議会議員全員が、宇部市役所からバスで向います。午前10時15分から午後2時半までです。自治会などで行われる研修会と違って、食事会などは一切ありません。
 午前中は「議会基本条例を中心とした議会改革」講師 全国市議会議長会法制参事 廣瀬和彦 先生
 午後は「二元代表制と議会改革」講師 東京大学名誉教授 大森 先生です。

 同窓会2010.8.17
 15日夜は宇部全日空ホテル国際会議場で、かたばみ会総会(宇部高同窓会)がありました。(写真)
 昭和49年度卒まではイスが用意されていましたが、ぎりぎり私の卒業年度の50年卒からはテーブルだけです。約700人が参加されました。今年の幹事は、平成元年度卒でした。私は14年前の幹事で実行委員長をやりました。
 昨夜は、宇部港三漁協組合の慰霊祭が地方卸売り市場でありました。

 神原納涼会2010.8.13
 昨夜は、ホテル河長で神原校区の納涼会がありました。47人が参加しました。
 会社は、明日から盆休みです。今日は午前中出勤して午後から萩へ行きます。知人のヨットを宇部まで帆走します。3人が乗り込むことになっています。
 パソコンのない環境では、ツイッターに書き込んでいますのでそれも見てください。このHOMEのページからアクセスできます。

 未確認飛行物体2010.8.11
 今晩、宇部ソフトテニス連盟の三役会(会長、副会長、理事長)が全日空ホテルであります。
 写真は、先日撮ったものですが、宇部港方面から中央公園コート方面へ飛行してきた、ハングライダー(?)です。着陸地点を探しているように見えました。写真であらためて見ると、熱気球のようにも見えます。

 藤田前市長の勲章受賞祝賀会2010.8.10
 夜、前宇部市長の藤田忠夫氏の勲章受賞祝賀会が、ホテル河長でありました。市議会議員22人だけとの祝賀会です。
  毎日11時頃から午後2時まで、整形外科に通院しています。車の方が先に治りました。

 手話を学ぶ2010.8.9
 昨日、「中途失聴・難聴者の手話講座」が、宇部総合福祉会館であったので参加しました。10月まで合計6回の講座です。
 4月に左耳が、突発性難聴で聞こえなくなり、右側も補聴器でなんとか聞こえているのですが、両方聞こえなくなったら困るという意味で、今のうちに手話を学ぼうという気持ちになりました。
 実は、そこで感じたのですが、健康な人が手話を覚えないと、聞こえない人同士の会話しか手話が役に立ちません。普段の生活でも手話がとても大事だと感じた次第です。
 私が、「片方の耳が聞こえない。」とか、「難聴で・・」と誰かに話すことが増えました。ところが、「私もです」という返事が多いことに驚きました。身近なところに、多くの難聴者や「突発性難聴」の人がおられます。
 自分の辛い経験を、これから生かしていこうと思います。

 矯正歯科の治療が終了2010.8.7
 午前中、みやわき矯正歯科に行きました。先週、強制装置が外れ、今日は歯の裏に歯の動きを止める金物(11月に除ける予定)をつけて、とりあえず長い治療は今日で終わりました。長かったです。感無量です。
 山大病院で、あごや舌を短くする手術(2回)もしました。(5年前)成長ホルモンが出る原因の下垂体腫瘍の手術も宇部興産中央病院でしました。全部歯の矯正につなげる治療ですが、私の場合足掛け6年もかかりました。徹底的によく頑張ったと思います。

 通院中2010.8.5
 事故直後、首が飛んだような気がしてもまだ痛みはなく、自分の足で近くの整形外科に行きました。待合室で待っている間にじわじわと頭が重くなり、これは何だと自分の怪我のことが理解できました。念のため、かかりつけの宇部興産中央病院で、CTの検査もしてもらいましたが、頭の中は異常ないようです。
 昨日、神原ふれあいセンターで、夏休みチャレンジクラブの将棋教室がありました。2時間の予定を1時間で切り上げて終了しました。重たい頭を首が支えているのを実感しています。

 追突される2010.8.3
 昨日、朝8時前、信号待ちしていた私の車に、2トントラックが追突してきて軽い鞭打ちになりました。昨日は、病院へ行ったりでバタバタしていました。車は修理に出しました。赤信号で私が止まった時には、後ろの車はいませんでした。止まったあと10秒くらいして「ドカン」と、一瞬の事故でした。ふいをつかれて、何が起きたかとっさに理解できず、爆発したような感じです。相手のトラックには4人乗っていて、わき見運転だったようです。もしブレーキがもう少し遅ければと思うと、ぞっとします。

 神原夏祭り2010.8.1
今夜は、神原ふれあいセンターで「神原夏祭り」です。午後5時から慰霊祭があります。

 掛け持ちの懇親会2010.7.31
 午前中、みやわき矯正歯科に行きました。今日で矯正装置が外れました。来週もう一回行けば、長かった治療は終了です。
 夜、二木健治県会議員の県政報告会及び懇親会と、スポーツクラブ「ゼオス」会員のビアガーデンが、全日空ホテルで同じ時刻の6時半からあります。私は同じホテルであるなら両方掛け持ちで参加することにしました。さてどうなることやら。
 写真は、昨日と同じく、全日本実業団ソフトテニス選手権に出場した宇部興産Bチームです。135チーム中、Aチームと一緒にベスト8までいきました。

 おかしな民主党の選挙総括2010.7.30
 民主党の両院議員総会での参議院選挙の総括を聞いて驚きました。まるで菅政権の前に鳩山政権があって小沢幹事長がいたことを忘れているかのようです。消費税だけが敗因なら、自民党はなぜ負けなかったのでしょう。
 写真は、先日の全日本実業団ソフトテニス選手権の女子の部で優勝した東芝姫路です。
 昼間、宇部興産中央病院へ定期健診と月一回の注射(サンドスタチン)に行きました。夜、宇部市民活動センターで利用者会議がありました。

 独身寮の竣工式2010.7.29
 中央公園コートの隣りに、中国電気工事鰍フ独身寮が新築されました。元ホテルがあった場所ですが、鉄筋コンクリート3階建てのモダンな建物に建て替わり、景観も良くなりました。
 今日午前中は、その竣工式の神事が執り行われ、私も地元の市議として出席しました。
 ところで、サザンオールスターズ、桑田佳祐の初期食道癌手術のニュースに驚きました。サザンオールスターズは、私の世代を象徴しています。
 私は桑田と同じ年齢です。夏、海と言えば、団塊の世代は加山雄三でしょうが、次の世代はサザンです。私が22歳のときに流行った曲が、あの画期的なデビュー曲「勝手にシンドバット」でした。テレビでは、追悼番組のようにサザンの昔を映しています。桑田の病気を聞いて、目が熱くなり、青春時代を懐かしく思い出しました。32年間も世代を超えてヒット曲を飛ばし続けるサザンは、日本版のビートルズに相当するのではないでしょうか。手術が無事成功し、完全復活を祈っています。

 雨が降ってほっとした日2010.7.28
 今日の天気は「曇り時々雨」の予報で、猛暑から開放されてほっとしています。ただ、朝のニュースで、日本テレビの山本アナウンサーが生後5ヶ月の子どもを残して自殺したとのニュースを聞いて、ショックです。このニュースには考えされられます。
 今日午後1時から3時まで、神原ふれあいセンターで「夏休み子どもチャレンジクラブ」で将棋を教えました。23人もの小学生を相手に約90分、どっと疲れました。

 人並みの群れを見るだけで暑い!2010.7.27
 毎日猛暑が続きます。昨日月曜日は市役所へ何度も行きました。執行部と意見交換する案件がたくさんあります。夜は、仲間と全日空のビアガーデンでした。

 ベスト8に終わる2010.7.26
 全日本実業団選手権は、結局宇部興産AとBの両方がベスト8でした。ベスト4をかけて、宇部興産Aは東邦ガス、宇部興産Bは京都市役所に惜しくも負けました。両方のチームとも過去の優勝経験があります。(宇部興産も過去4回優勝)135チーム中に2チームもベスト8はすばらしい成績です。
 宇部市役所のチームも一回戦を勝ち、二回戦で負けました。
 一日中外にいたので、真っ黒に日焼けしました。

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