[NAO活動日誌]
2010年元旦よりシステム変更に伴い「活動日誌」がリニューアルいたしました。
 昨年までの日誌は画面下の「過去の日誌」でリンクされております。
 今日は仕事2013.3.28
 朝から、久しぶりに夕方まで仕事の一日でした。議会の間仕事が溜まっていました。

 3月市議会最終日2013.3.27
 本日、午前10時から本会議最終日でした。各常任委員会委員長報告と質疑・討論・評決、予算審査特別委員会委員長報告と質疑・討論・評決がありました。
 一般会計の修正予算案は、記名投票で行われました。結果は13対13(無効票1票)で可否同数となり、議長裁決で可決されました。無効票の1票は、予算委員会で修正可決された予算案に「賛成」と書くところを「修正案に賛成」と書いたためだそうです。「賛成」の意思でも、余計なことを書くと無効になるそうです。
 今回の議会は、これまでになくおもしろかったという印象です。これからも議会の意義を発揮することは重要だと思います。
 原案が修正可決されたので、ひとり親家庭や乳幼児医療費の問題については、今後改めて議論されることになると思います。
 写真は、今月20日に撮影した合併道路(市道立熊沖田線)ですが、21日の写真より200mくらい進んだところです。

 昨日からの妙な空気2013.3.26
 朝一番に出勤しますが、すぐに市役所へ行きます。
 明日の本会議に向けて、動きがあるようです。議会の裏でいろんな話し合いがあることは当然ですが、公開された正式な委員会の可決を委員会や議会のないところでひっくり返そうとする動きは、市民からは見えませんから開かれた市政もしくは議会とは言えません。何かあったのでしょうか。
 議員も市民の一部と言えますし、かつ議員は市民から選ばれた代表者です。それぞれの議員が、市民の代表者であることの自覚も必要です。
 本日、本会議に向けて(予算委員会で修正可決された一般会計予算案について)会派代表者会議がありました。前市長までは、修正予算案にならないように議会としっかり調整(意見を聞いた)された議案だったでしょうが、今回のように予算案の修正可決は初めてのことです。委員会で修正可決されてから、いろいろ動きがあったようです。

 午後から、自民党の拡大役員会が文化会館でありました。
 夜は、『長州侍』の地元宇部ブランドの芋焼酎を飲む会がANAクラウンプラザホテルでありました。

 議会は休会日でしたが2013.3.25
 午前9時に教育員会へ行き、午前11時に県庁に行きました。午後1時から市役所会派控室で会議、夕方から会社で仕事でした。
 写真は、昨日の宇部湾岸道路開通式ですが、山本繁太郎県知事の挨拶がありました。国土交通省近畿局整備局長代理で挨拶もありましたが、内容に感心しました。宇部湾岸道路が、宇部小野田地域の経済発展に寄与させなければならない重要な高規格道路であり、山陽小野田市から山口宇部道路までを接続させることが重要だという話がありました。ある意味、国と県が一生懸命であることを聞いて安心しました。

 湾岸道路開通式2013.3.24
 午前10時半から、宇部湾岸道路(宇部スカイロード)開通式がありました。そのあとパレードで車で通行して自然解散しました。平成6年に着工し約18年かかってやっと開通です。西中町インターから新町までは計画決定路線ですが、東への延長工事着工の見通しが立っていません。山口宇部空港までの工事のみならず山陽小野田市との連絡道路への接続も未着工です。
 今現在、私たちが道路を便利に利用できているのは、先人の計画と努力があったからこそです。それゆえに今を生きる私たちは、将来のために努力しなければなりません、それを一時的にも止めてしまうのは、将来を生きる人たちに対し我々の怠慢でしょう。
 午後4時から一般車両が通行できます。

 第1回宇部カップ高等学校選抜ソフトテニス大会2013.3.23
 21日から第1回宇部カップが、宇部マテフッレッセラテニスコートで始まっています。開会式は、今日午後1時からでした。今日は、全日本の代表監督や日本選手権優勝者、山口県代表クラスの指導によるテニス教室も行われました。
 夜は午後6時半から、自民党の『奮起を誓う会』がありました。

 一般会計予算は修正案が可決される2013.3.23
 昨日、平成25年度予算審査特別委員会の審査が終わりました。一般会計予算案は、修正可決されました。採決の内容ですが、修正案は高井仁議員の修正案(私立各種学校教育振興経費助成金の減額変更案)と青木晴子議員の修正案(乳幼児やひとり親家庭の医療費の現行維持案)の二案が出され、青木議員修正案に賛成が14(清志会4人+新政会7人+新風会3人)、反対は12(共産3人+公明4人+新風会3人+民主1人+社民1人)(議長と予算審査特別委員長を除く)で可決されたあと、その部分を除くその他の予算が可決されました。高井議員修正案は否決されました。私は青木議員修正案に賛成しました。
 まだ本会議があるので、議会で議決しているわけではありません。

 青木議員修正案の内容は、簡単に言えば、「乳幼児医療の制度」を現状のままとするものです。修正するなら、3年前に久保田市長が現行(3歳児未満は無料、3歳からは一科受診500円/一か月毎、入院は千円負担、所得制限あり)を再検討して継続実施したのと同様に再検討すべきであり、単純に無料化ではなく、その財源があるならもっと幅広く子どもの医療費を補助したほうがよいという意見です。今回の予算案(原案)は、3年前の現行を維持した根拠(専門家や市民でつくる検討委員会から現行を評価する答申)を覆し、今回の予算案で急に完全無料化に変更するものでした。医療費の完全無料はよくない(少なくとも自己負担があるべき)という意見もありました。

 他市では、乳幼児医療(小学校にあがるまで)は無料のところが大半だそうですが、宇部市は一部有料化にしている代わり、小学校3学年までの医療費の一部を市が負担(3割負担を2割負担に)しています。もちろん宇部市も乳幼児医療については3歳未満までは無料です。ひとり親家庭では子どもが高校を卒業するまで、その親と子に乳幼児医療補助と同様の制度があります(3歳児未満は無料、3歳以上は自己負担一科受診500円/一か月毎、所得制限あり)。子どもの健康診断はもちろん全員無料です。
 小学生の医療費を補助しているのは宇部市の特徴ですが、これを小学校高学年まで延ばせないかという意見の方が(青木議員修正案に賛成している議員には)多かったと思います。
 
 今回の委員会は、誠に盛り上がりました。議員から修正予算案が二つも出たおかげで、議員同士の議論と質疑もたくさんありました。議員対執行部だけでなく、議員同士の議論もあるのが、正常だと思います。思わぬところで、議会改革が進んだと思います。
 まだ、27日の本会議が終わっていませんが、私にとっては、会派代表質問、産業建設委員会委員長、予算委員会で三日連続の質疑、こんな忙しい議会は初めてです。

 写真は、銀天街にある『まちなか環境学習館』の学習室です。予算案に修理費が計上されていたので前日視察に行ったときに撮影しました。

 今日も予算審査特別委員会2013.3.21
 今日は、朝から予算審査の特別委員会がありました。平成25年度予算の一般会計の歳出の審査がありました。15人が質問に立ち、私は10番目に質問しました。質問時間は30分です。
 昨日書いた、市道立熊沖田線、新琴川橋、市役所建て替え、地産地消外商について質問しました。
 私を含めた15人の質疑応答では、今日の新聞にはまだ載っていませんが、いろいろありました。午後5時前に今日の審査は終わりましたが、その後いろんな議員と協議を重ね、帰ったのは夜です。その後も電話で協議を重ねました。
 明日は、歳入についての質疑があります。明日も質問する予定です。
 写真は、昨日撮った市道立熊沖田線の工事(まだ工事用の道路状態)状況です。3月末の検収(年度が替われば次の入札で業者が受注)に向けて、平らに均してあるのでもったいないですが、完成時の道路底盤はもう少し下になります。

 予算委員会質問の準備2013.3.20
 今日は春分の日で議会は休みですが、明日の予算委員会の質問の準備をしました。具体的には、明日は一般会計歳出の質疑があるので、予算にある事業の現地視察を数か所してきました。質問のためには予算書を読むだけでなく現場を見ることも大事です。口先だけでは説得力もありません。明日の執行部からの返事に対応するための現場視察です。私は現場主義ですから、行動力では自信があります。写真は、今日撮影した工事中の合併道路(市道立熊沖田線)の様子です。写真の黒い車がある坂の下が、万倉の沖田橋交差点方面です。

 平成25年度予算審査特別委員会2013.3.19
 今日も、議会で『平成25年度予算審査特別委員会』がありました。市長の予算説明に対し質疑がありました。質問の通告が正午までで、午後からの質問は4人でした。私は4番目に「財政調整基金について」質問しました。
 明日は、一般会計の予算審査です。質問の通告時間が朝8時半からなので、前夜も勉強しています。明日はかなりの人数が質問すると思います。市長には予算の編成権がありますが、議会の承認がなければ執行できませんから、議会としては一年で一番本気がでる場面です。
 必死で深夜まで勉強して(予算書と予算説明書を読んで)いましたが、日付が変わる直前、明日(20日)は祭日であることに気がつきました。委員会は明後日です。全く・・・(^_^;)

 くすのきカントリーマラソン2013.3.18
気がつけば、15日から書いていませんでした。15日(金)は常任委員会がありました。
 16日(土)は朝から、第二回ソフトテニスクリニックが宇部マテフレッセラテニスコートでありました。(写真)国体に出場した選手達や山口県内の一流選手が、小中高の子どもたちにソフトテニスの指導をしてくれました。夜は懇親会でした。
 午後3時から、骨髄バンクを支援する山口の会の役員会がありました。
 17日(日)は、万倉で「くすのきカントリーマラソン」がありました。夜は、自治会の総会がありました。私が神原19−1区の自治会長になりました。
 今日18日(月)は、議会は休会日でした。夜は宇部かたばみライオンズクラブの例会でした。

 今日も議会でした2013.3.14
 今日は、急にまた寒くなりました。
 この最近は写真なしの日誌でしたが、先日の商工会議所の会員大会の写真があったので、それを載せました。この子どもの絵は、別です。先日ANAクラウンプラザホテルのロビーに展示してあったものです。皆驚くほど上手でした。 
 今日は、常任委員会への議案の付託と、平成25年度の予算案の審査のための特別委員会を設置しました。
 明日は、午前10時から常任委員会(私は産業建設委員会)があります。

 3月議会中2013.3.13
 昨日午後1時から2時間、会派代表質問をやりました。夜は、宇部ソフトテニス連盟の総会が、宇部マテフレッセラテニスコートの管理棟でありました。
 今日も議会で個人質問がありました。夜は、宇部ANAクラウンプラザホテルで『泡盛を飲む会』です。

 会派代表質問2013.3.11
 今朝から議会でした。今日から会派代表質問です。午後5時過ぎに終わりました。
 午後11時半に、やっと明日の議会質問の準備ができました。昨夜も午前2時までかかりました。市の職員も(時間がなくて)大変でしょうが、職員から議員への連絡や調査で、質問する側(議員)も準備がはかどりません。誰かが、担当職員に完璧を求めているせいだと思います。

 今日は、東北大震災から二年目です。議会開始前に黙祷をしました。

 写真は、先日の長門ライオンズクラブの50周年記念の懇親会です。

 2時間を使い切る代表質問は大変な作業2013.3.10
 今日は、神原校区の文化体育委員会の研修がありましたが、急遽欠席です。研修行事に参加していては、火曜日の議会質問の準備が間に合わなくなりました。
 今日は日曜日ですが、朝から質問文を書いています。

 長門へ2013.3.9
 午後から長門ライオンズクラブ認証50周年記念式典で、宇部かたばみライオンズクラブのメンバーで参加します。

 代表質問の準備2013.3.8
 午前中、宇部興産中央病院で定期健診、午後から市役所でした。
 私の会派代表質問の通告内容は、下記のとおりです。本日公開されました。

1.宇部市の目指す将来像について
(1)過去3年間の実績評価と今後の課題
(2)財政状況の改善についての評価と今後の課題
(3)第四次宇部市総合計画にある「元気」にするための基本方針
(4)市職員のやる気についての評価と課題
(5)環境施策の取り組み

2.施政方針について
(1)福祉関係費の大幅増加の原因
(2)市債発行での合併特例基金創設の目的
(3)産業力の向上対策
(4)中心市街地のにぎわい創出
(5)耕作放棄地対策
(6)地産地消外商の取り組み
(7)常盤公園の施策
(8)土地開発公社の解散
(9)公共施設白書と市役所建て替え
(10)小中学校の適正配置の取り組みと耐震化計画

3.都市環境の質的整備について

4.教育委員会のあり方ついて

 午後5時から会社で仕事2013.3.7
 今日午前中は自宅で代表質問の文章を書き、自宅では資料が足りないので午後から夕方まで市役所会派控室でノートパソコンを持参して文章を書きました。この一週間、昼休みも食べる以外は議員としての仕事で、正直この仕事がよほど好きなのでしょうから、時間があっという間に過ぎています。
 午後5時に会社に出勤し、それから構造設計とその監理の仕事でした。頭を切り替えるのも大変です。疲れました。
 景気回復を体で実感していますが、職種によっては、これまでの不況で人員をかなり減らしてきていますから、人手が足りません。震災復興の遅れも原発事故のせいだけでなく、長年の不況の影響で業界の人手不足が多分にあると思います。

 ヒアリングが終了2013.3.6
 今日も市役所会派控室で、朝から代表質問のヒアリングでした。午後5時前にやっとすべてのヒアリングを終えました。質問は17項目あります。
 今回の代表質問は私がやりますが、代表質問のヒアリングを会派の全員(河崎、山下節子、黒川)で最初から最後まで一緒にやりました。職員も驚いたと思いますが、私も清志会に入って(10年め)から初めてのことです。皆がサポートしているせいか、つい熱くなりすぎて、熱弁(?)することになり、あっという間に時間が経ちました。
 明日から、二時間の質問時間の構成を含めて、準備をします。質問の通告は昨日までで終了し、私の番は12日(火)午後1時からと決まりました。代表質問は11日(月)午前10時からです。それまで研究日となります。質問の内容は、(明日まで変更がある可能性もあるので)後日ここでも公表します。

 ヒアリングの一日2013.3.5
 今日も結局朝から夕方まで市役所で3月議会代表質問のためのヒアリングでした。全部終わりませんでした。明日も午前9時半からの予定です。
 夜は、通学区域再編の会議が神原ふれあいセンターでありましました。校区の意見を聞くために出席しました。そのあとは寝るまで勉強です。

 代表質問2013.3.4
 今日は朝から市役所でした。月曜日の会社での会議にも欠席しました。
 朝から会派の議員(4人)全員で、代表質問の準備と議論を重ねました。午後から通告書を提出して、執行部とのヒアリングを開始しました。質問は来週の火曜日(12日)の午後1時からになると思います。
 夜は、神原校区の「さくら祭り(4月7日)」の準備委員会がありました。宇部かたばみライオンズの例会と重なりましたが、欠席しました。

 質問の通告書を2013.3.3
 昨夜、自分の住んでいる自治会(神原19−1区)で、次年度の自治会役員(1年が任期)を決める会議がありました。なんと来年度の自治会長をやることになりました。3回目です。何とか新しい人に役員をやってもらいたかったのですが、うまくいきませんでした。
 昨日と今日、会派代表質問の通告書を書きました。質問時間が120分というのは長いようで短いです。質問したいことがたくさんありますが、限られた時間の中で宇部市にとって重要なことを絞り込んでいます。

 3月議会始まる2013.3.1
 今日から3月議会が始まりました。来年度の予算案も審議されます。私は会派の代表質問(120分)をやる予定です。
 今日は、朝から午後5時まで市役所でした。会派の議員全員で、市長の施政方針演説に対する質疑も考えながら、予算案を調べています。時間があっというまに経ちました。

 暖かい2013.2.27
 朝から気温が11℃もありました。日中はもっと上がるようです。
 夜6時から、宇部ソフトテニス連盟理事会が宇部マテフレッセラテニスコート管理棟会議室でありました。

 社会教育推進委員会2013.2.26
 夜、神原校区社会教育推進委員会があります。
 写真は、盛り上がっている日韓親善ソフトテニスの懇親会です。竹島の問題があるので、今年は中止かと心配しましたが、話題にもなりませんでした。聞かれたらこう答えるつもりでした。「独島は韓国領土ですか。ならば竹島は日本領土ですよ。」友好目的ですから、そういう心配はありませんでした。

 3月議会の前の勉強2013.2.25
 午前中は教育委員会へ。午後から市役所清志会の会議でした。
 夜は、ある議員と意見交換会をしました。

 日韓親善ソフトテニス大会2013.2.24
 今日は朝から、第14回日韓親善ソフトテニス大会が宇部マテフレッセラテニスコートでありました。毎年日韓で交互に開催されており、山口県内も各地区のソフトテニス連盟の持ち回りで開催しています。今回は宇部ソフトテニス連盟が主管です。夜は、ココランドで懇親会でした。大いに盛り上がりました。スポーツ交流では竹島の問題を話題にする人いませんでした。

 江島潔さんとの話 22013.2.24
<続き>

 さて、江島さんがドナー登録をしたのは92年秋だ。
「登録の問題について質問したんですから、私自身が登録をすることは自然なことでした」
 父の敦さんは参議院議員だったが、二期目の87年5月に体調を崩して59歳で亡くなった。政治家の血は争えない。江島さんは91年4月に市長選、93年7月に衆議院選挙に出馬したが、いずれも涙をのんだ。
 96年8月、財団から適合患者が見つかったという連絡が入った。
「提供することについては、いささかの不安もありませんでした。むしろ適合する確率が低いと盛んに言われていましたから、宝くじに当たったような気分ですね」
 だが、採取のための入院期間をどう確保するかで悩んだ。95年4月に再挑戦した市長選で当選していたのだ。予想以上の激務で、就任後は土曜・日曜もないような生活をずっと送ってきていた。
「結局水曜日の夕方に入院し、木曜と金曜は完全に仕事を休み、土曜と日曜午前の行事を欠席するというスケジュールをたてました」
 そのころ、下関にあった韓国総領事館が閉鎖されることが明らかになったことから、存続のための交渉がつづいていた。韓国に飛んだ江島さんが帰国した日が、まさに入院の日と重なっていたのである。福岡空港に降りたってから、自宅に寄ってすぐ入院したため、地元のマスコミが騒ぎだした。
「江島市長が行方不明」
 そんな見出しを掲げた新聞もあった。しかし江島さんは、退院後も骨髄採取のために入院していた事実を一切明かさなかった。かなりたって事実が分かってから、何人かの記者が謝罪にやってきたという。

 江島潔さんとの話2013.2.24
 2000年4月に「いのちのバトンリレー」(造血細胞バンクのいま)という本が(株)ローカスから出版されています。著者は遠藤允さんです。その中の、第二部「善意のドナー像」『「公人」ゆえの苦悩』P144から、私と江島潔さんについての記述があります。昨日見つけました。書き写してみます。年齢は2000年当時のものです。

 山口県下関市長の江島潔さん(42)も、96年秋にドナーとなった。
 骨髄バンクとのかかわりは、<骨髄バンクを支援する山口の会>が、92年6月に下関市内で開催したシンポジウムに参加したのがきっかけである。その頃江島さんは地元の大学で講師を務めるかたわら、青年会議所のメンバーだった。シンポジウムの後援団体に青年会議所も名を連ねていたのが縁だ。シンポジウムで江島さんは、会場から質問した。
「ドナー登録者を集めるのが大変だという話ですが、日本中のお医者さんや看護師さんに登録してもらえば、簡単に増えるのではありませんか」
 答えたのは、会長の猶克実(なおかつみ)さん(43)である。
「その医療関係者の協力を得ることが、実は難しいのです」
江島さんは納得できない。
「それなら、一般の人たちに骨髄バンクを理解してもらって協力を仰ぐというのは、もっと難しいのではないでしょうか」
猶さんは答えようがなかった。だが、率直なやりとりがふたりを急接近させた。江島さんも<山口の会>にボランティアとして参加したのである。
 建築設計事務所を営む猶さんが、前身の<山口県骨髄バンク推進連絡会議>を立ち上げたのは90年9月だった。長女の絵美さん(17)が5歳だった89年1月に急性リンパ性白血病と診断されたのがきっかけだった。主治医から骨髄移植のことを聞かされ、広島でのシンポジウムへの参加を勧められた。89年11月である。
「そこで娘の患者登録をして、自分もドナー登録するくらいの軽い気持ちでした。その頃は、その程度の知識しかなかったんです。ところが、バンクの設立運動を始めるという話でびっくりしました」
 質問時間に真っ先に手を挙げた。
「骨髄バンクは早くつくらなければいけません。山口県ではどなたが運動をされていますか」
 猶さんは、その人を応援したいと考えた。だが、主催者の<中四国骨髄バンク推進連絡会議>(当時)代表の土居優子さん(現在は<広島血液難病患者家族の会「つばさの会」>代表)の回答がふるっていた。
「あんたが山口から来たんじゃけえ、あんたがやりんしゃい」
 度肝を抜かされたというよりも、猶さんはハッと気がついた。
「誰かを応援するのではなく、骨髄バンクがほしいと思った自分が動かなければならないんだ」
 日本骨髄バンクのスタートを見届けたあとの93年から二年間、家族を残して、青年海外協力隊員としてサモアで過ごすという妙な経歴≠燻揩ツ。
 絵美さんは、九州骨髄バンクのドナーからの骨髄移植を92年夏に受けた。慢性GVHD(移植片対宿主病)との闘いが続いているが、2000年4月から県立大学で社会福祉を学ぶ。
 さて、江島さんがドナー登録をしたのは92年秋だ。

 林芳正農林水産大臣の集い2013.2.23
 昨日、3月議会の議案と予算案が、各議員に配布されました。午後から夕方まで、市役所で精読しました。 
 昨夜は、第28回宇部商工会議所会員大会の式典と交流会がありました。途中で中座して、工学院大学同窓会宇部支部幹事会にでました。
 今日は、朝からフジグラン宇部店で、若き経営者の会の協力による「骨髄ドナー登録会」(献血並行)をやりました。途中、他のボランティアに任せて、午前10半から宇部ANAクラウンプラザホテルに行き、林芳正農林水産大臣の新春の集い(写真)に出席しました。午後1時にフジグランに戻り、ドナーの登録呼びかけを継続しました。
 明日は、日韓親善のソフトテニス大会が宇部マテフレッセラテニスコートであります。夜はその日韓親善の懇親会です。

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